二人のイスラム教徒

最近土曜日は毎週アラビア語を勉強しに近くの大学に通っています。
このアラビア語のクラスには、仲の良いクラスメイトが二人いて、しかも二人ともがイスラム教徒なのですが、
今日彼らと話していて、久々に「インシャ・アッラー」というフレーズを聞きました。


「インシャ・アッラー」は「もし神が望めば」というような意味で、
特に中東などではかなり色々な場面で使われるようです。
本などで載っている話としては、以下のような例があります。
中東の某国で、役所に書類の申請に行き、「翌日には書類はできる、インシャ・アッラー」と言われたが、実際には翌日に行っても出来ていなかった。「翌日にはできる、と行ったじゃないか。。」と問い詰めると、「もし神が望めば、と言ったじゃないか。」
と開き直られた、というものです。


まあこれだけ書くと、体の良い言い訳として頻用されているだけ、という印象をうけるかもしれませんが、
重要なのは、このフレーズの前提には、「世界には人間の人知を越えた人間の力では制御不可能な力が常に働いている」という認識があるということでしょう。


物事の達成に向けて人は最大限の努力をすべきなのは勿論ですが、最後にことが成就するかどうかは、人知を越えた神の思し召しにかかっているというのが、このフレーズの妥当な解釈なのだと思います。


インシャ・アッラーと同様な話として、この二人のイスラム教徒と話していてよく出てくるのが、「あなたの頭はあなたが思っている以上のことを知っている」というものです。これも人知を越えた力の存在を前提としています。


何でこんなことを書いているかというと、この2人のイスラム教徒を見るにつけ、彼らと我が身を比べながら、自分の状況の歪さをつくづく思い知らされるからです。自分に起こったことの責任が全て自分にある、という考えは、そもそも現実認識としても不正確であると同時に、とても辛いものでもあります。


インシャ・アッラーというフレーズの奥深さを改めて噛みしめつつ、私の頭が何を知っているのかを考えています。