心が揺らぐとき

文藝春秋芥川賞特集をやっていて、
その中に「わが青春の芥川賞」というタイトルで、村上龍石原慎太郎綿矢りさの対談があった。


対談は3人それぞれのキャラクターと年齢を反映して、石原慎太郎が好きなようにしゃべり、村上龍がそれに相槌をうちつつ、ときどき綿矢のために石原の話を解説してあげる、という形で進んでいた。
しゃべる石原、下の世代に気を配る村上、隅っこで小さくなっている綿矢という構図が今の日本の世代同士の関係をそのまま表しているようで、なんとも面白かったが、この対談の一番の見せ場は全体を通して最も発言の少なかった綿矢りさが作っていた。


それは石原が綿矢に、どんなときに小説を書きたくなるかたずねたところで、それに綿矢は「心が揺らいだとき」と答えた。
綿矢が発言するまでは、今の若い世代は戦争も貧困も経験できず、情報化も進み、創作の動機が見つけにくくて大変だろう、という流れで対談が進んでいた。
創作の動機は世代間で違うはずだ、というのが話の方向性だったのだが、この綿矢の一言により、石原も村上も「結局はぼくもそれだ!」と我に返り、「なんだ、みんな創作の動機はおんなじじゃない。」というように話が落ち着いていく。


綿矢の発言は対談の流れを変える一言になったのだが、それはやはり彼女の的確な言葉選びの賜物だろう。
「感動」のように安直で、負の要素を全て排除してしまったくさい言葉ではなく、「心が揺さぶられる」ほど大げさでもない。
「心が揺らぐ」ほどちょうどいい言葉はなかなかないだろう。


石原村上という大家二人をたった一言で納得させるとは。恐るべし、綿矢りさ