しあわせ

ここ一週間ほど山田詠美の「姫君」という短編集を読んでいた。その中のMENUという話の中で主人公の男の子が「不幸は他人が決めること。幸福は自分が決めること。」というようなことを独白する。主人公の母親が自殺したとき、まわりの大人たちはそれを不幸と呼んだけれど、本人はそうはおもっていなかった、という文脈だ。以前はこんなこと当たり前だと思っていた。もちろんエイミーみたいにかっこいい言葉では表現できていなかったが。
でも社会人生活半年で、あっという間に忘れた。日々の仕事をこなすこと、少しでも自分の技術を上達させることで頭が一杯で、自分が不幸か、幸福か、他人が不幸か幸福か、なんて考えるメモリーの余裕は残っていなかった。
ただ僕は仕事の関係上、自分で不幸と決めてしまっている人と毎日顔を突き合せなければいけないときがあったし、逆にシチュエーション的に明らかに不幸そうな人でも、幸福な人であるかのように対応しなければいけないときもあった。そういう意味では「不幸を自分で決めてしまう」場合もあるし、「他人が決める幸福」というのもあるのだろう。
ただ、そのどちらも見ていて歯がゆいものであるのは間違いない。そしてもったいないものだ。
でも今の僕に自分の幸福を判断する力がのこっているのだろうか。わからない。